報告、個展「私の彼女を紹介します。」

 2017/02/09~2017/02/12まで開催しておしました、個展「私の彼女を紹介します。」が、先日無事に終了いたしました。

たくさんの方にご来場いただき、大変嬉しく、ありがたい気持ちでいっぱいです。

誠にありがとうございました。


2015年より撮影制作を続けてきた「私の彼女を紹介します。」シリーズ。

学校という教育機関からの卒業、というタイミングで展示を行いました。

今回の作品は写真という技術を利用して制作しています。

並びのスペースの方たちが「写真のための展示」をされている人が多い中で、「写真のためではない展示」をしたのは意味があったように感じます。

 ※展示写真はデザインフェスタギャラリー様のみ条件付きの撮影許可を出しております。

他サイトなどで展示の写真をアップロードなどされておりましたら、ご連絡いただけると幸いです。


【concept】

 パートナーとの関係をインターネットにアップロードする人々の気持ちが理解できない。大切な人、関係、というものは当事者同士以外の承認は必要ないと思っているからだ。しかし、彼らの行為は社会における承認型人間関係(結婚など)の延長線上にあると気づいた。では、私もパートナーを作ることで彼らの気持ちは理解できるのだろうか。疑問の答えを探すため、「私の彼女」として存在した彼女を撮り続けている。

そして、今回、展示という方法で、他者の介在を試みる。



 コンセプトを掲げ、彼女の撮影を続け、現像した写真を見れば見るほど、インターネットへアップロードしたくないほど、愛しくなった。周囲からの承認欲求がなく、2人の間(もしくは私の中)で完結してしまったのだ。


承認欲求というのは数パターンある。他者、自己、上位、対等、下位…その承認欲求すべてにおいて、かならず「他者」と「自分」という2人以上で出来ている。写真をアップロードする選択肢が私にゆだねられている場合、「他者」「自分」「彼女」ではなく、「他者」「自分+彼女」という形になる。この「他者」がインターネットの不特定多数の利用者。そこからの評価で「自分+彼女」という価値(承認される数)を「自分」が決めようとしている。

彼らは、「他者」なくして関係は成り立たない。


だから私は、「他者」のいない状況で、この作品を終わらせてしまってはいけないと思い、「展示」というかたちで「アップロード」した。


サイズは、スマートフォンの平均的な画面サイズである。フォトアクリル加工しているため厚みのあるものとなっている。

横並びに展示することでスライドさせているような感覚を覚えてほしかった。

撮影はすべてインスタントカメラで行った。インスタントカメラは毎度ボディを捨てることのできるカメラであるからだ。何度も使えるデジタルカメラのようなものを使うと、同じものを使って別の彼女を撮ることになる。レンズ、再度、スピードなど、カメラ(ボディ)へ固執したものには「彼女を撮り続けている私」が入ってしまうと考えた。そうではなく、彼女を愛する別の私、で在りたかったため、毎回新しいインスタントカメラを開けるところから撮影を始めた。



 展示終了後、振り返ると、「他者」の介在があったことで、何が変わっただろうか。

愛しさは変わらなかった。むしろ深くなり、より「他者」へ公開することへのためらい、不安、恐怖(のようなもの)、が増すこととなった。ドロドロ、もやもや、まるで展示されている彼女が人の目に触れることで消費されていくような感覚がしたのだ。「承認」されるための「消費」。おそらくこのエネルギーがSNSを動かしているのかもしれない。

では自分にはそのエネルギーがないのかというと、決してそのようなことはない。現にTwitterも利用しており、消費される場に自ら赴いている。しかし、「彼女」という大切な関係を「他者」へさらす行為はできない。



 この心に残った、もやもやのようなものを、理解しきれていない。このシリーズについて、多くを語るには経験が足らないのだと思う。今後、彼女を撮り続けることで、何かが見えるかもしれない。その時、世界ではインターネットは終焉を迎えているかもしれないし、言葉にするのは遅すぎるのかもしれない。しかし、私は撮り続けようと思う。その時まで。

A.M.

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